企業に訊く①2019.01.07

マスミ鞄囊株式会社(https://masumikaban-shop.com/
代表取締役社長 植村賢仁

楽しまなければ損だし やって損することは何もない

 創業は大正5年(1916年)。マスミ鞄囊(ほうのう)株式会社は、錠前のついた漆塗りの行李鞄の時代から現在まで、豊岡のかばん産業の一端を担ってきた老舗である。
1964年の東京オリンピックの際には、聖火を運ぶケースの製作を手掛けるという名誉を得た。
3代目となる植村社長にお話をうかがったのは、2018年夏にオープンしたばかりのファクトリーショップ。築85年の古民家をリノベーションし、1階に工房、2階にショールームとしても有効なショップを併設、受け継がれてきた伝統の重さと、モダンでフレッシュなセンスの両方を感じさせる。
取材のために案内していただいた部屋の家具もまた、同社で製造しており購入可能だという。天板にマスミのイメージカラーであるグリーンの革を貼ったテーブルが素敵で思わず撫でてしまう。
 植村社長は、マスミの社長というだけでなく、18年9月に東京は丸の内にあるKITTE(https://toyookakaban.com/)内にオープンした「豊岡鞄」旗艦店の社長でもあり、「豊岡鞄」と豊岡のかばん産業の舵取りを任せられていると言ってもいい。
「こんなに忙しくなるはずではなかった」と言いながら楽しげな社長に聞く「豊岡鞄」、若手育成、産地2000年の夢。

 

──テーブル、椅子、姿見など、こちらにあるものも販売されているんですね。かばん以外のものを手がけるようになったのは、社長の代になってからですか?
植村:昔から少しはしていたんですけど。かばんだけではちょっと、ね。うち木工という特別な部署もあるんで、ライフスタイル全般にわたって提案できたらなと思って。船箪笥という大きな家具もあるし。

──「かばんだけではちょっと」というのは?
植村:企業としての差別化ができない、ということ。ライフスタイル全般を提案できるかばんのメーカーでありたいな、と思っています。

──極端な話、家一軒丸ごと、みたいな?
植村:さすがに家は建てられないけど、それに付随する中の装飾はできるよね。実際、建築デザイナーから依頼を頂いて、装飾に使う革のパーツを作ったりしています。

──初めてこちらにお邪魔しましたが、オープンはいつだったんですか?
植村:2018年の7月です。お客さんは来ないですけどね(笑)。来たお客さんには満足していただいているので、いいのかな、と。慌てず騒がず。でも、発信だけはしていかないと。

──18年は、7月にこちらがオープンして、9月にはKITTE内に「豊岡鞄」の旗艦店がオープンして。お忙しかったのではないですか?
植村:死にそうでした。この店があるから、2〜3年ゆっくりさせてくれとお願いしていたのに(笑)。

──KITTEの「豊岡鞄」は、どんな経緯で出店されたのか教えてください。
植村:18年3月にKITTEさんからお話をいただきました。たまたま担当者の方が高円寺の「豊岡鞄」に行かれて、そこから「豊岡鞄」について色々調べて下さったんです。
豊岡なんて、関東では全然有名じゃないですからね。それが偶然、KITTE5周年で店舗リニューアルの時期にあたって、ぜひ「豊岡鞄」さん、入っていただけませんでしょうか?とオファーがあって。我々も、20年のオリンピックを目指して、どうやって「豊岡鞄」を全国に、世界に発信していこうかと考えている最中のことでした。
それまでも大阪や東京からオファーはいただいていましたが、費用の問題などで実現できずにいた中で、最高の立地、我々と同じように歴史ストーリーがある建物の中に店舗が出せるということで、「これは行くしかない」と。「失敗したらどうする?」よりも、「まずはやってみるしかない」でしたね。
ここを逃すと、オリンピックの後に不景気になることを考えても、そこから何かをするのは難しい。今、知名度を上げるしかないと。
世界に向けて発信するなら、外国人がたくさん東京にやってくるオリンピックは、一番いい機会ですからね。その中で「豊岡鞄」を見せる場を作ることもできる。
 じゃ、これ、いくらあったらできるんだ?という話になり。とりあえず3,500万円あればということになったけれど、実は「お金が集まらないでダメになるかなぁ」とも思っていたんです。
そうしたら各企業に声をかけて1週間で集まった。「えぇ!」って。
これはもうやらなくちゃダメだ、と(笑)。

──豊岡の企業が一丸となって「豊岡鞄」の発信という同じ方向を向いているということですね。
植村:そうですね。「豊岡鞄」を広めようという活動をみんなで10年以上やってきて、自治体から補助金などをいただきながら徐々にではありますけど成果を上げてきています。
豊岡の産地が元気いっぱいなわけではないけれど、「豊岡鞄」をやっていなかったらどうなっていたんだろうと思うと、やってきた甲斐はあったと思うんです。
みんな「豊岡鞄」を大切にしているし、「豊岡鞄」が広まれば、今度は企業の名前も出していける、ということで。
店舗に置くかばんがない企業でも投資してくれたところがあるんです。夢に投資してくれた。
そういう意味で、我々の絆が再認識されたましたね。

──社長が考える「豊岡鞄」のアピール・ポイントといったら、どんなことになるでしょうか? 色々なスタイルのかばんがあるとは思いますが。
植村:いろんなかばんがあること(笑)。
長年、ビジネスマンや学生を相手に強度や軽さが求められるかばんを作り続けてきた技術力とノウハウ、そこに「豊岡鞄」というブランドが重なって生まれたデザイン力。メーカーならではのアフターサービスの充実。
作っている企業が見える、作っている人の顔が見えるところも魅力ですね。

──では「豊岡鞄」という大きなくくりの中にあるマスミ鞄嚢さんとしては、他とは違うどんな「豊岡鞄」を作っていきたいとお考えですか?
植村:うちは、低価格大量生産はできない会社です。
こつこつと手作りが好きな会社なので、ものづくり的には他社が「面倒臭い」とか「嫌だ」と思うようなものをあえて作ろうというのが基本的な方針。
だから、今、箱物(アタッシュケースなど)は売れない時代なのに、頑なにそれを作って、ニッチなところに売っています。他社と差別化するということだけでしか、うちは生き残っていけないと思っています。
豊岡には、由利さんや、ハシモトさんや、木和田さんのような大きなメーカーがあっていい商品を作られているけど、そことは全く逆のやり方をしていかなければならないんです。
由利さんは自動裁断機を入れて、コンピュータ・ミシンを研究されていいものを導入するといったことをされていますが、それをされればされるほど、うちは手で切って手で縫ってと、手法を乖離させていくんです。

──そうなると、より一層職人さんの技術は欠かせないものになりますが、職人さんの確保に苦労をされるようなことはありませんか?
植村:それはないですね。

──今、職人さんは何人くらいいらっしゃるのですか?
植村:職人としては、15人くらい。現場の平均年齢は38歳前後。
最年少は19歳で、高校を卒業してアルチザンを出ています。出身は岐阜だったかな。

──Iターンでこちらに、ということですね。
植村:そう。岐阜、奈良、北海道、韓国…韓国の方は日本の方と結婚してアルチザンで勉強したんです。

──若手育成の使命感みたいなものはありますか?
植村:育てるというよりうちは、勝手に来て、勝手に学んで仕事にしていくようなところがありまして。とはいえ、そういう使命感は、あります、正直に言うとね。
若い人が集う工場でないと活気も出てこないし、お客さんが工房を覗いた時に60や70のおじいさんしか働いていなかったら、「ここはあと何年で潰れるの?」ってことになるじゃないですか?
逆に、100年の伝統がある老舗のメーカーで…と仰々しくしたところで、工場には若い連中がウロウロしていたら、「こんな若い人で作っているんですか!?」というちょっとした驚きにもなる。
百貨店の催事場で実演しているような、いかにも職人気質な作務衣を着てタバコをくわえた60や70のおっさんがやっているんじゃ、おもしろくないでしょ?
もちろん、そういう人が中にいてもいいんですけどね。

──“ものづくり”を志す若者に対しては、どのような期待を持っていらっしゃいますか?
植村:若い人、真面目だからねぇ。


「今の若い人は真面目すぎてね(笑)。もうちょっと遊び心があってもいいのかな」。

──ダメですか、真面目なのは?
植村:真面目すぎてね(笑)。もうちょっと遊び心があってもいいのかな。仕事に対する姿勢が真面目なのはいいことだけど。
うちに来る子は“ものづくり”が好きな子が多いから仕事に対しての不満はないんだけど…、休みの日にこんなところ(仕事場)に出てきていいのか、と。
女の子と遊びに行ったらいいのにって(笑)。

──かばん作りにも、女の子と遊ぶことは必要だ、と。
植村:それは必要でしょう! かばんはファッションの業界だしね。
バッグのハンドルひとつにしても、女の子のやわい手で持っても痛くないだろうか、とかね。

──妙に説得力があります(笑)。
植村:彼女がいるということは、その彼女だってかばんは持っているわけだから、「なんでそのかばんが気に入ったの?」ということから入って、ひとつひとつが勉強になるでしょう?

──豊岡のかばん作りには歴史があって、マスミ鞄嚢さんにもまたその一角を担ってきた歴史があって。かばんに対しても、会社に対しても、守っていきたいものと、変えていかなくてはいけないものがあると思います。この先もずっと守っていきたいものは何でしょうか?
植村:いい人材と、いい技術じゃないですか。何より人材ですね。あとはなんとでもお金で解決できますから。

──先ほど20年の東京オリンピックに向けて世界にも「豊岡鞄」を発信していきたいとのことでしたが、現時点で具体的に進んでいるお話はあるのですか?
植村: 2019年3月に香港で展示会をやって、お客様の反応を見ながら聞きながら情報を収集します。これは3年計画で20年のオリンピックまでには間に合わないけれど、運よく25年には大阪万博が決まりましたから。
「豊岡鞄」も、ちょっとラッキーかなと思っています。


後ろに見えるのは、1964年東京オリンピックの際に聖火を運んだケース。

──しかも大阪なら東京より近いです。
植村:そう。25年までなら、少し時間があるので手の打ちようを考えられます。

──KITTEの方はいかがですか?
植村:厳しいですね。新しいことをやってすぐにうまくいくほど豊岡も有名ではないですから。有名なブランドがポンとお店を出すのとはわけが違う。
でも、厳しいのには何か問題があるんでしょうし、その問題をどう解決していくかが大切だと思っています。
少しずつでも「豊岡鞄」で成功して、ものを作って、人を育てて、産地で働いてもらって、ものを作ってそれをまた外に出して…と、産地としての“循環”が人を育てるところまでできているから経産省もそこを高く評価してくれています。
売り上げだったら今治(タオル)の方がよっぽど大きな成功を収めているけれど、豊岡はその“循環”ができていることで、今治と同等の評価をもらっています。
なので、いろんな意味で今はやりやすいんですけど、その分しんどいです(笑)。やることが山ほどあって。まぁでも楽しいですけどね。


2018年7月にオープンしたショールームには秘密のオーダー・ルーム(非公開)も完備。

──楽しまなければ損ですよね。
植村:楽しまなければ損だし、やって損することは何もない。色々な問題が起きるけど、その都度解決していけるものなんですよ。これまでも自分の会社を含め、スムーズにいったことはないので。
何かを信じて行動すれば何とかなる…かなぁ、って言いながらやっています(笑)。


ショールームの1階は工房。未来の“匠”がものづくりに励んでいる。

──社長のゴールは?
植村:豊岡は、1300年続いた産地なので、2000年続く産地であるためにはどういう仕組みを作り、どういうことをしていけばいいのかということを中心に、今やることを組み立てて、それを次の世代の人に理解してもらわないといけません。
自分の会社のことも大切ですけど、やっぱり1社じゃ生きていけない。豊岡に1社だけあってもダメなので、活気ある産地として2000年続けるためには、企業として何をするか、全体として何をするか、そのヒントが今やっていることの中にあればいいなとは思います。
だから、そのヒントを次世代に残すことが、僕のゴールかな。


マスミ鞄嚢ファクトリーショップ:9:30〜17:30、毎週火曜日定休、オーダーは完全予約制、電話0796-37-8177。

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