I(U)ターン経験者に訊く⑥2019.03.14

畠 裕介(30歳)
衣川産業株式会社(http://www.rabbik.com

1767年、小間物ごうりを販売する店として形を整えたところから歴史をスタートさせた衣川産業は、250余年の長きにわたり豊岡のかばん産業を支えてきた老舗である。現在は大手ブランドのライセンス生産から自社ブランド製品まで、海外を生産拠点にして幅広く取り扱っており、営業マンは全国を西へ東へ、また中国など海外へ出て行くことも珍しくないという。関西及び九州エリアを担当する畠さんも、月の半分は出張だ。
家庭の事情によって豊岡にIターンした彼は、就職のためにアルチザンでかばん作りを学んだが、製造ではなく営業を志望した。今は、学んだ知識が営業に役立っていると語る。

──ご出身は大阪ですね?
:はい、大阪です。

──アルチザンの3期生でいらっしゃいますが、それ以前にはどんなお仕事をされていたんですか?
:京都の中央卸売市場で荷受けの仕事をしていました。大学が近畿大学の水産だったので、その関係で前職に就きました。

──何年くらいされていたんですか?
:4年半くらいですかね。

──そこから、なぜかばんに興味が移ったのかを教えていただけますか?
:興味が移ったというより、いろいろ家庭の事情がありまして。両親の実家が兵庫県の八鹿なのですが、母親の方の跡取りが誰もいない、と。そのときに僕は独身だったこともあり、白羽の矢が立ちまして。ひいおばあちゃんが施設に入っていたんですけれど、そこに顔を出しながら、アルチザンに通うようになりました。
こっちの方に籍を移して来ることを考えた時、かばんが有名だということは知っていたので、少しかばんの勉強をしてから、豊岡の企業に就職できればいいかな、と思いました。


「自分が不器用だというのはわかっていたので、かばんを作るよりもかばんの知識を活かして営業ができればいいなと思いました」

──もともと“ものづくり”には興味があったのですか?
:少しはありましたけど、プラモデルを作るくらいの感じです。そんなに、「よし、かばんを作ろう!」というのでは、正直ありませんでした。

──就職するにあたって、何か資格があればいいかな、という気持ちに似た?
:そうです。かばんを知っているのと知らないとでは、お客様と話しているときも、一つ上の世界でお話できるかなという感じで。

──実際アルチザンで勉強を始めてみてどうでしたか? イメージしていたかばん作りと同じでしたか?
:けっこう手間がかかるというか、ひと針ひと針しっかり丁寧にやらないと、最終仕上げをしたときに、どこか不具合が出たりするので、やっぱり奥が深いものだなと思いましたね。

──アルチザンでは、徹底したカリキュラムの中で、次々とかばんを作っていくじゃないですか? 途中で「できません、着いて行けません」という人が出ることもあると聞きました。
:私は、なんとか(笑)。同期は8人だったので、みんなで力を合わせ、わからないところは聞きあって相談しながら、なんとかみんな卒業しました。最初はミシンの扱いもわからなかった状況で、先生の力は借りましたけど、ひとつのかばんができたときの達成感は忘れられないですね。

──衣川産業に就職を決められたのには、どういった経緯があったんでしょうか?
:アルチザンで学んでいる中、自分がなかなかに不器用だというのはわかっていたので、かばんを作るよりも、かばんの知識を活かして営業ができればいいかなと思いまして、こちらにお世話になりました。


「思っているほど田舎暮らしも悪くないですよ」

──今はまったくかばんは作ってない、ミシンは踏んでいないわけですね?
:ないです。企画営業なので、工場と一緒にかばんを企画しながら、それを売っていくにあたり多少なりとも知識が役に立つかなと思いまして。実際、 お客様からの修理依頼や、こういった感じでお願いしたいといったリクエストがあったとき、「ここはこういう仕組になっているのでできませんよ、でもこうしたらできますよ」と、「わかりません」で終わるよりも、いろいろな提案ができるようにはなったのかなと思いますね。

──今されているお仕事を、具体的に説明していただくと、どんなことになるんでしょう? 1日のタイムスケジュールなど教えていただけますか?
:会社にいるときは、メール・チェックから始まって、そこから注文、お客様からFAXが来ているかどうかを見て、あれば対応して、あとはお客様に電話してこちらのご提案をさせていただいたりですね。店舗さんには売り上げ状況を踏まえて、「これが売れていますけど、次にはこんなのがあります。いかがですか?」というような提案などです。

──ご出張も多いんですね?
:はい。1ヵ月の内半月ぐらいは出ていますかね。家を空けることも多いので、その都度、妻と子どもを大阪に送ってから、出張に出ています。


お客様からのメールには迅速に対応を。

──こちらに住まれるようになって何年ですか?
:約3年になります。

──出張などで大阪や東京のような都会に行ったりすると、都会いいな、みたいな気持ちになることも?
:思いますね(笑)。買い物とかもね、いろいろなものがあるんで。「きらびやかな世界やな〜」と思いながらこっちに帰ってくると、夜9時には誰も歩いていない(笑)。

──豊岡には八鹿から通われているんですか?
:そうです。

──ご結婚は来る前に?
:こっちに来てからです。妻が着いて来てくれました。そのときはまだ、付き合っていた段階でしたけど。

──反対はされなかったですか
:あなたが行くところに着いて行きますって。

──それは素晴らしい!
:大変できた嫁です(笑)。

──子育て環境としての但馬エリアは、どんな風に感じていらっしゃいますか?
:今は正直、誰も頼るところがないのが現実ですけれど、昔、祖父母が暮らしていた地区でもあるので、周囲の方にはいろいろと気を遣っていただいています。子育てをするにはけっこういい環境なのかなとは思いますね。川もあって海もあって山もあるので、開放的な空気の中で子どももすくすく成長するんじゃないかな、と期待しています。

──今、Iターン、Uターンを視野に入れながら大学に通っていたり、都会で就職されていたりする方もいると思います。Iターン経験者として、そんな方々に何かアドバイスをしてあげるとしたら、どんなことになるでしょうか?
:思っているほど田舎暮らしも悪くないですよっていうような感じですかね。


社内には同世代の仲間も多い。

──どんなところが悪くないですか?
:私たちが若いということで、近所の方もいろいろ世話をしてくれたり、気にかけてくれたりする部分は、もしかしたら都会の人には鬱陶しいかもしれません。でも、そういう付き合いも悪くない。IターンやUターンで来る人は、そういったものを受け入れられると思うんですね。地元のみなさんと、和気あいあい仲良くできますよ。
人口が減っている中で主役になれると言ったら少し違うかもしれませんが、若い人が目立てるので、自分が活躍できる場が多くなるのかな、とは思います。

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