企業に訊く②2019.01.09

株式会社羽倉(http://hakura.jp/
取締役社長 羽倉嘉徳

変わっていっても構わないが“ものづくり”の矜持というものは保持していきたい

OEMを中心にしながらゴルフバッグの製造などを手がけてきた(株)羽倉は、約2年前にランドセル専門ブランドとして生まれ変わった。
現在は、豊岡市街地にある工房&ショールームのほか、大阪は江坂と泉佐野にもそれぞれショールームを展開している。

毎年4月にピカピカの1年生が背負うランドセルの中でも、羽倉が手がけているような“工房系”と呼ばれる製品は、その前年4月〜7月が売り時期だそうで、取材にお邪魔した11月末には注文の入った商品をフル回転で製造している真っ最中。
2019年春までは閉めているショールームを、撮影用に開けて頂いたのだが、そこに並んだ色とりどりのランドセルを見ながら、“女子は赤、男子は黒”の時代に育った世代は、少し心を躍らせたのだった。

──現在、従業員の方は何名いらっしゃいすか?
羽倉:私を含めて24人ですね。

──そのうちIターン、Uターンの社員さんはどれくらいいらっしゃいますか?
羽倉:合わせて10人程度でしょうか。会社にも若い人が増えてきています。私は今55歳ですけど、7年前に先代の父が亡くなった時、ふと社内を見渡すと私が最年少だった。それで「これは、あかん」と思い、慌てて求人を出しました。
その後トレセンやアルチザンができて、若い子が入ってくるようになりました。
私も今は上から4番目ですから、まぁ、そこそこな感じですね。

──若い方の“ものづくり”に対する姿勢には、どんな思いをお持ちですか?
羽倉:うちに来た以上は、よその若い方よりも上手になってくれとは言っています。
大きな会社だと朝から晩までファスナー付けばかりやるようなことも珍しくありませんが、うちではできる限り1本に近いことをやってほしい、とも思っています。

──かばん作りの全行程を網羅する、ということですね。
羽倉:そうです。ただ会社の運営上、ずっと研修させるわけにもいかないので、まずは縦の力──ひとつの仕事の奥行きですね──を学び、その後横の力を伸ばして欲しいと思っています。
縦の力をつけるとはいえファスナー付けばかりが上手になっても仕方がない。ファスナーができるようになったら、他のこともできるようになって、と幅を広げていく。
縦と横、芸力と芸域、両方合わせた面積がいわゆる“芸の力”ですね。そこに若い人たちを持っていきたいと考えています。

──若い人から刺激を受けることはありますか?
羽倉:若い連中から思わぬ発想が出てくることはごく稀にありますが、大概は却下します。未熟なことが多いので(笑)。
だけど、ぶつけてくれるのは大いに歓迎です。採用できるのは、10にひとつでしょうか。

──若手を育成していくのは大切で大変なことですね。
羽倉: IターンでもUターンでも、若くして豊岡で働くようになったなら、結婚して子育てをしてという生活をサポートしてあげなくては、という気持ちもあります。

──社長ご自身は、子どもの頃から家業を継ぐものとして育ってこられたのでしょうか?
羽倉:いや、気まぐれです。26歳くらいで大阪から豊岡に帰ってきました。

──ということは、社長ご自身がUターンなんですね。
羽倉:そういうことになりますね。東京の大学を出て、大阪で色々な仕事をしていました。
不動産業や法律事務所、配管業もやったことあります。

──豊岡に帰ってこのお仕事を継ごうと思ったきっかけはあったのですか?
羽倉:当時は何も考えてなかったですね。両親も兄弟もいる地元に帰ろう、くらいの気持ちでした。それから独学でかばん作りを学んで。
誰も教えてくれなかったので、試行錯誤を繰り返しながら、ものづくりをやってきましたね。

──現在はランドセルを専門にされていますが、もともとは違ったんですよね。
羽倉:ビジネスバッグから始まり色々なかばんを作っていました。ゴルフバッグもやっていましたね。


「やはりものづくりとして、オリジナルのブランドはやってみたかったのです」

──数あるかばんの中で、ランドセルを専門にされた理由を教えてください。
羽倉:ゴルフバッグを作る時には、太い糸のミシンを使うんです。それがランドセルとの共通点で、だから、よそがやるよりはうちがやる方が近いだろうと。
それと、7〜8年ほど前からランドセルをやってみようかなと考えていたところ、2年ほど前に「一緒にやらないか?」と声をかけてくださるところがあって、ならやってみようか、と。
でもそれ以前に、オリジナルのブランドをやってみたいという気持ちがありました。
これまではOEM中心だったので、自分の作った商品がどこの売り場に置いてあるのか、誰が買うのか、買われた後どうなったのかがまるでわからない。手応えを感じないわけです。
OEM先のお客様の顔を見て商売をすることが多かった。
でも、私も55歳で、ものづくりできるのはあと20年かな、と考えた時、もうそろそろオリジナルをやっておかないと間に合わないなと思いまして。
やはりものづくりとして、オリジナルのブランドはやってみたかったので。そこでランドセルなら向かっていけるかな、と。
どの商品も簡単ではないけれど、ランドセルは意外とおばあちゃんが難敵なんです(苦笑)。おばあちゃん、おじいちゃんも意見を色々おっしゃる。
加えて、おとうさん、おかあさんもいる。全世代と相対している感じですね。


本社に隣接するショールームにて。

──社長が考える“良いランドセル”の条件とは、何ですか?
羽倉:シンプルで美しいもの。うちのランドセルがそうであると自負はしています。あまり鋲をつけたり刺繍をしたりしない。
素材感を活かした美しいシルエットのものが理想ですね。


工房でミシンを踏んでいる方々とシンプルで美しいランドセルを手に。

──購入された方からの反応も受け取りますか?
羽倉:ありますね。そういうのもとても励みになります。ひとつのやりがいですよね。
OEMだけをやっていたら味わえないことです。

──ランドセルは大きく形を変えるものではないと思いますが、年々マイナー・チェンジはされているのですか?
羽倉:そうですね。来年度のランドセルはマチ幅を10ミリ広げました。お客様と話をしながら、要望を汲み取っていくことも大切です。
あとは重量ですね。素材を変えて軽量化することもあります。軽いものが好まれる傾向はありますが、うちのランドセルは本革を使用しているので、どうしても他社の合皮製品に比べると120〜130グラムは重くなります。
でも、軽いランドセルが欲しい方は、最初からうちには来ませんね。
うちのランドセルには、ランドセル工業会の認定証と「豊岡鞄」の認定証、ダブルでついています。

──「豊岡鞄」及びかばんの産地としての豊岡が、知名度を高めていくために必要なことは何だと思いますか?
羽倉:どこかがバーンと伸びて、叩かれても潰れないくらいになったら、みんながそれに引っ張られていくと思います。
「全体で底上げ」なんて言っていたら間に合わないと思います。
うちじゃなくていい、由利さんでも植村さんでも出てくれたら一番いいんじゃないですか。

──「豊岡鞄」を広めていく上で、変化に背いて守っていきたいことは何かありますか?
羽倉:“ものづくり”の魂だけは引き継いでいかなければいけないと思っています。
形は時代に合わせて変わっていっても構わない。ただ、“ものづくり”の矜持というものだけは保持していきたいと思います。

──“ものづくり”を目指す若者にアドバイスやメッセージがあるとしたらどんなことになりますか?
羽倉:私は“ものづくり”が好きでやってきました。
本を書くのも、音楽を作るのも、映画を作るのも、かばんを作るのも一緒だと思うので、作りたい若者はみんな集まってきなさい、みんなでワイワイいろんなものを作りましょうよ、ということですかね。

──先ほど、今後はランドセル以外の自社ブランドにも力を入れていきたいとのことでしたが、具体的に動き出していることはありますか?
羽倉:ゴルフバッグは、長年よそにはできない技術でやってきたので、ランドセルが落ち着いたらまずはこれを自社ブランドでやっていきます。
あとは、財布以外のカジュアルバッグですね。

──現時点で社長が描く夢、当面の目標があれば教えてください。
羽倉:関東に2軒か1軒、名古屋、関西には2軒あるので、中国、四国、九州、北陸にそれぞれ実店舗を置きたいと思っています。万博までには収益を上げられるようになりたいな、と。


豊岡ショールームは2019年2月まで休業。
江坂と泉佐野のショールームに関してはこちらをご覧ください。
https://www.hakura-randsel.jp/shops/

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