I(U)ターン経験者に訊く④2019.01.15
野田賢吾(30歳)
大阪府吹田市出身
アルチザン・スクール3期生(http://www.artisanschool.net/)
松下ラゲッジ株式会社(https://www.luggage.co.jp/)
お客様の期待を超えるものを作ることができた時
初めてお客様に満足いただけるんじゃないかと思います
目に鮮やかなブルーの外観が特徴的な松下ラゲッジで働く野田さんは、大阪出身。もともと革小物が好きで“ものづくり”にも興味を持ったという。インタビューの質問に丁寧かつ的確に答えてくれる彼からは、まじめで実直な印象を受けたが、時折見せる笑顔も魅力的な青年だ。
取材に同席された松下士朗専務いわく「採用時に地元出身であるかどうかは関係ない。優秀な方に来て欲しいという気持ちだけ」。これまでにも、横浜、神戸、大阪、広島など全国各地出身者の採用を行なってきた。
──ご出身は大阪の吹田市だそうですね。豊岡市とは何かご縁があったのですか?
野田:いいえ、何もないです。
──では、どんなきっかけで豊岡でのお仕事をされるようになったのですか?
野田:大阪の万博公園や南港のATCホールで開催されているような手作り市に出かけるのが好きで、いろいろな作家さんの作品を見ているうちに、自分でも作ってみたいという気持ちが湧いてきました。最初は仕事にしようという気持ちもなかったのですが、どこかでかばん作りを勉強できたりするのかな?と調べていた時、ネットでアルチザン・スクールを見つけたんです。そこでは1年でかばん作りの基礎を勉強できると知ったので、大阪での仕事を辞めて、豊岡に来ました。
──大阪でのお仕事も“ものづくり”と関係があったのですか?
野田:全然ありません。
──それでも手作り市に通われていたというのは、もともとそういったことに興味があったということですか?
野田:そうですね。革小物とかが好きで、手作り市には、そういうものを見るために行っていました。
──豊岡市は大阪と同じ関西圏ですが必ずしも近いわけではありません。知らない土地に移住することに対する不安やためらいはありませんでしたか?
野田:年間の授業料が約125万円。1年でしっかり学ぼうと思ったら朝早くから夜遅くまで作業や勉強に費やさなければなりません。アルバイトもできないので、1年間生活できるだけのまとまったお金の心配はしましたし、以前勤めていた会社も何が悪いというわけではなかったので、かばん作りはそこを辞めてまでする価値のあることなのかも、よくよく考えました。
──最終的に野田さんの背中を押したのは?
野田:やっぱりおもしろそうだったし、自分がやってみたいと思えたことだったので。
──年齢的なことも考えましたか?
野田:もちろん考えました。当時27歳だったので、何かをしようと思ったら、これが最後のチャンスかなと思ったんです。
──最初に豊岡に来た時はどんなことを思いましたか?
野田:何もないな、と…思いました(笑)。あと、一昨年でしたか、ものすごく雪が降った時があって、「こんなところで暮らすのか」と思ったことは覚えています。でも、もう、こちらに来てから3年半が経ちました。
──この間に「もう大阪に帰ろうかな」と思ったことはありますか?
野田:何回もあります(笑)。学校が1年で終わるので、最初は、学んだことを活かせる仕事を大阪で探そうと思っていました。地元で暮らしたいという気持ちもありましたし。でも、どうしようかと悩んでいる時に専務にお声かけ頂きまして。やはり就職しやすいのは豊岡なんですよ。アルチザン・スクールの名前もこちらの企業には知られていますから。そうした就職のしやすさと、1年豊岡に住んでみて、何もないなりにいいところだなと思えるようになったことが、豊岡での就職を決めた理由ですね。海はきれいですし、大阪からでは遠い観光地もここからなら行きやすかったりします。
──アルチザンの授業は大変でしたか?
野田:午後6時に授業は終わるんですけど、みんな7時や8時までは普通に残っていましたね。休日にも学校に行って作業を進めることもありました。ただ、大変ではありますが、みんな楽しんでやっているので、辛くはなかったです。
「何もないなりにいいところだなと思えるようになったから、豊岡での就職を決めました」
──専務が野田さんに声をかけられたというのは?
専務:彼らがアルチザンに通っている間に面接会というのがありまして、そこでみなさんとお会いしてお話しする機会があります。その後、私は野田さんを指名して2回のインターンシップを経験してもらった上で、強引にうちに来てもらいました(笑)。
──(笑)強く野田さんを希望されたのは、なぜですか?
専務:彼はすでに社会人を経験しているのでしっかりしていますし、人柄が良かったからですね。
──現在の野田さんのお仕事について教えてください。
野田:サンプル師という仕事になります。営業がお客様から頂いてきた仕事に関して、企画部がデザインをして、私たちが型紙をおこして実際に製作していきます。OEM、ODM、自社オリジナル、どれもあります。
──就職されてから、学校で学んだことが活かされているな、と実感することはありますか?
野田:もちろん活かされてはいるのでしょうが、学校で勉強したことと実際に仕事でやることには差があるので、すべてが活かされているとは言えません。ただ、学んだことは決して無駄にはなっていないと思います。ひとつ、これからかばん作りを目指す方に知っておいてもらいたいのは、かばんや革小物作りというとハンドメイドのそれをイメージする人が多いと思うんです。もちろんそういう製品を作っている会社もありますが、大抵は違う、ということです。もっと工業的な会社の方が圧倒的に多いですから。
──将来的な目標や夢を教えてください。
野田:当面の目標なんですけど…、営業、企画と僕ら工房(サンプル師)が協力して作りあげたものが商品化された時の喜びは、とても大きいんですね。そんな中でお客様の期待に応えるのはもちろんなのですが、期待を超えたものを作っていきたいという思いはずっとあります。期待を超えるものを作ることができた時、初めてお客様に満足いただけるんじゃないかと思っていて。そのために一層の努力をしなければいけないと考えています。
──今、野田さんがしなければいけないと考えている努力を具体的に教えてください。
野田:かばん作りは基礎を1年学んだだけなので、まだまだ技術が足りないです。それと必要なのはコミュニケーション力ですね。企画、営業と話をすることはとても重要ですから。実際にお客様にお会いしているのは営業なので、そこから情報を引き出していかないとお客様が望むものは絶対に作れません。
──現在、UターンやIターンを考えている方にアドバイスがあるとしたら、どんなことでしょうか? 例えば、家族や友達が誰もいない場所で暮らし始めるのは寂しいじゃないですか?
野田:難しいですね。そもそも僕はひとりが嫌いではないので。でも友達を見つける努力はします。学校もそうですし、会社でも同年代の人と遊びに行ったりします。
初めての場所で初めての仕事ですから、辛いことも多いです。でもその辛さに耐えられるくらい、自分はその仕事が本当にやりたいのか、ということはよく考えて欲しいと思います。
新たなデザインを、型紙から作り上げていくのがサンプル師の仕事。
──振り返ってみて、豊岡暮らしで1番困ったことは何ですか?
野田:うーん、意外と困らないですよ。同じような環境の人が周りにいるので、みんなと情報交換できますから。「俺はこうしているよ」、「私はこうしているよ」という話を聞くと「じゃ、俺もやってみるわ」ということになりますからね。言うほど大阪も遠くないので、休日には大阪や三田、鳥取あたりに出かけて買い物をすることもよくあります。
たっぷり陽光の入る明るい社内に明るい笑顔の同僚たち。
──豊岡にIターンしてよかったな、と思うことは何ですか?
野田:海が近くてきれいなことでしょうか。僕は、辛いことやしんどいことがあった時は海を見に行きます(笑)。小さなテントを持って行って昼寝をしたり。僕が大阪で暮らしていたせいもあるかもしれませんが、やっぱり空気はきれいかな、とも思います。
オフィスの一角には自社製品の展示がされている。
──大阪の賑やかさが懐かしくなることは?
野田:あります、あります。でもこの前帰省して道頓堀を歩いた時には、ちょっと人酔いしちゃいました(笑)。あと、豊岡では夏にお祭りがあって、各企業から何人か人を出してお神輿を担いだりするんですけど、そういう時に他社の同年代の人と知り合う機会があるのは、いいですね。もちろん、大阪で頑張って仕事をしている友人たちもいますが、同じ業界で働いている同年代とのつながりが広がっていくのは、産地ならではだと思います。