人材育成の現場に訊く②2019.03.08

鞄縫製者トレーニングセンター 公式HP(http://toyooka-hosei.com

豊岡市内にある鞄縫製者トレーニングセンター、通称トレセンは、もともと兵庫県鞄工業組合(Toyooka K-site)によって設立された。
2年前に兵庫県立但馬技術大学校の職業訓練校(鞄縫製者養成コース)として認可され、現在は、6月〜9月と、11月〜2月の年間2期制でカリキュラムが組まれている。1期(4ヵ月)は3ヵ月の授業と1ヵ月のインターンシップで構成。授業は初心者向けにミシンの糸かけなど縫製の“いろは”から始まり、ポーチやトートバッグ、ショルダーバッグなどのかばん縫製までを学ぶ。
受講生は上限10人という少数精鋭、授業料はかからず、インターンを経ての就職斡旋まで力を貸してもらえるということで、県外からの問い合わせも多いと聞いた。実際トレセンには、遠方から来る人のためのシェアハウス(有料)も併設されている。
私たちが取材にお邪魔した日も、受講生のみなさんはリズミカルにミシンを踏んでいた。講師を務めているのは、地元企業でのかばん作りを引退されたベテラン職人さんで、いわば受講生にとっては先輩中の大先輩。現場を知っているからこそのアドバイスも多く聞くことができるだろう。

「かばん作りの材料は、鞄工業組合に加盟する企業さんから無償で提供を受けています。そして、その材料で学び育った人材を企業さんにお返しするというのがトレセンの基本スタンスです」と語るのは、センター責任者の岡田勝也氏だ。
「各企業で人材を育成するのは時間的にもコスト的にも大変なことです。ですからそれをトレセンが担当しているんです」。
さらに詳しくお話をうかがおうとしたところ、兵庫県鞄工業組合理事長で、株式会社ハシモトの代表取締役社長である橋本和則氏がタイミングよくトレセンを来訪。お引き留めして岡田氏共々お話をうかがえるようお願いした。

──このようなトレーニングセンターで学ぶことをきっかけにI(U)ターンして、かばん作り、あるいはもの作りを志す若者たちにはどんなことを期待しますか?
橋本:まずは、豊岡のかばんのファンになってもらいたい、ということですね。豊岡以外の場所から来てくださる方も多いので、ここに定住して、仲間として一緒にかばん作りに携わっていただきたいと思います。

──トレセンで学ばれる方は、豊岡での就職が前提になっているのでしょうか?
橋本:そうであって欲しいとは思いますが、必ずしもそうはならないこともあります。心の中までは、わかりませんから。でも僕たちは、豊岡の企業で働いていただきたいという気持ちでやっています。


「意欲のある方ならどなたでもトレセンで学んで欲しいと思います」

──トレセンで学ぶ若者や、会社で働く若者を見ていて、思うのは、どんなことですか?
岡田:私は、かばんとは関係のない仕事からこちらに来たのですが、非常に多くの若者がかばん作りに興味を持っているという事実に驚きました。特に最近は、他府県からの応募が増えています。みなさん非常に熱心で、製作にかける時間が足りないくらい、日々励んでいます。2年前から正式に兵庫県立但馬技術大学校の訓練校になったのですが、若い方からの問い合わせが増えていますし、一時的な腰掛け気分で学びに来る方がいないことを大変嬉しく思っています。
技術を身につけ、ゆくゆくは自身のブランドを立ち上げて……といった夢を持っている方もいますが、「実際のかばん作りは1年や2年で習得できるものではないよ」という話はしていますし、本人たちもそれはきちんと認識しているようです。


「受講生は非常に熱心で、製作にかける時間が足りないくらい、日々励んでいます」

──こちらでトレーニングを受けて現在豊岡でかばん作りに携わっている若い方にもお話をうかがう機会がありましたが、「将来的には自分のブランドを」という気持ちを持っている方は確かに多いかもしれません。
橋本:そうですね。何年か企業で経験を積んだ後に独立したいというのであれば、それを応援していきたいと思っています。「将来的に独立したい」というくらいの強い気持ちがないと、かばん作りも続かないと思いますしね。

──かばん作りの楽しさは、どんなところにあると思われますか?
橋本:出来上がった商品をお客様に喜んでいただけたら、その時は楽しいし、嬉しい気持ちになります。

──トレセンでは、どんな方に学んでいただきたいですか? かばん作りに向く方、そうでない方とかいらっしゃるのでしょうか? 橋本:いろんな人に来ていただきたいですね。まじめに勉強して、技術を身につけようという意欲のある方なら、誰でも歓迎です。


上限10人だからこそ可能な個別指導。

──アルチザンやトレセンの運営といったかばん作りの後継者を育成するための取り組みは、同時に“豊岡鞄”というブランドを継承していくための取り組みでもあると思うのですが、“豊岡鞄”への思いをお聞かせください。
橋本:豊岡のかばんは時代の流れで、戦後、輸出をメインに作られてきました。作ればお金になるという時期が去り、オイルショックなどを経て、1990年代には中国や韓国からの輸入品が増えて、豊岡のかばんの製造は落ち込みました。その当時の全国的なイメージは「豊岡は安物のかばんを作っている」だったと思うんです。安いものばかりを作っていたわけではないんですけどね。
そこで今一度、審査基準を設けて、高品質のかばん作りに取り組もうとして始まったのが“豊岡鞄”です。審査される側もする側も同じ豊岡の同業者です。審査で落とされたら悔しいし、いいものを作ってやるという気持ちにもなりますよね。今、豊岡鞄のレベルも上がってきて、昨年は東京に旗艦店「豊岡鞄KITTE丸の内店」を開くこともできました。
今後は、“豊岡鞄”というツールを使って各社が自社ブランドを盛り上げて、オリジナルのかばんをここから発信していってくれたら、かばんの産地としても盛り上がっていくんじゃないかと思います。

──岡田さんは、もともとかばんとは関係のないお仕事をされていたそうですね。実際、こうしてかばん産業に関わるようになって、豊岡のかばん、あるいは豊岡鞄に対する思いは変化しましたか?
岡田:私は豊岡出身で、両親がかばん産業に携わっておりましたので、豊岡がかばんの街であることは、子どもの頃からよく知っていました。でも、産地でありながら、“豊岡のかばん”ということは表に出ていませんから、豊岡のかばんを豊岡で買おうというような意識は全くありませんでした。自分がかばんに携わるようになり、かばん産業を支えている各社が集まって同じ方向を向いてアルチザンやトレセン、豊岡鞄といったことに取り組んでいること、それらの取り組みを可能にする組織が存在すること自体に感銘を受けましたね。

──今後、豊岡鞄をより発展させていくために必要なことは、どんなことだと思われますか?
橋本:3月には香港での展示会に参加します。そうやって新製品を海外に発信するため、いろいろな展示会に参加したりして発表の場を設けていきたいと考えています。“東洋のフィレンツェ”を目指すくらいの気持ちでね(笑)、皆さんやっておられると思うんです。それくらいここには、かばん作りのあれこれが集積しているので。

──城崎温泉に来た帰りに豊岡鞄を見て帰る、というのも定番のコースになりつつあるようですね。
橋本:それが最近は、豊岡鞄を買いに来たついでに城崎温泉に寄って帰るという方も増えているそうですよ。


受講生の年齢層は幅広く、特に最近は若者が増えている。

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