企業に訊く⑥2019.03.18

株式会社ナオト(https://www.toyooka-kaban.jp/company/naoto/
代表取締役 宮下栄司

好きかどうかもわからないくらいに
かばん作りは当たり前の日常です(笑)

 長年『ナオト商店』として親しまれてきたが、代変わりを機に、2018年12月『株式会社ナオト』が誕生した。会社を任された二代目は40代の若社長ながら、“豊岡鞄”のブランドを盛り上げるブランド委員長としても活躍、多忙な日々を送っている。
 自社ブランド製品を手がけるようになったのは、ここ5〜6年のことだというが、アース・カラーを中心に展開するユニセックスの帆布かばんは、スタイルも豊富で、“豊岡鞄”を扱う店舗アルチザン(豊岡市)でも目を引く。もちろん、企画・デザインは宮下社長だ。次々と湧くアイディアを形にする時間がなかなか取れないことがもどかしいと言うが、“豊岡鞄”のために割く時間もまた重要。豊岡のかばん産業に増える若い力に期待しつつ、自らも勉強と成長の途中であることを強調する。

──社長が就任されたのは最近のことだとか。
宮下:今年1月1日です。会社として法人化したのが、2018年の12月13日。それまでは僕の親父が社長で、今は会長になりました。親父は、昭和54年にナオト商店を立ち上げています。

──社長が家業に関わるようになったのはいつですか?
宮下:20歳頃なので、20年くらい前ですね。

──それまでは何を?
宮下:いろんなことをやりましたよ。かばん屋さんでバイトをしたり、お蕎麦屋さんで働いたり。掃除会社もありますし、何でも。僕は鞄屋しか考えていなかったので、それまでの間何をするか、でしたね。高校を卒業して大阪の専門学校に入り、卒業後の1年間、そうやって色々やって過ごしました。

──豊岡に戻って家業を継ぐと決めていたということでしょうか?
宮下:そうですね。この仕事以外は考えていませんでした。小さい時から。

──それだけ、かばんが好きだった、と?
宮下:いや、何だろう。僕が小さい頃というのは、社内ではなく、外の縫子さん(外注さん)に仕事をお願いしていました。会長と一緒にミシンが置いてあるおばちゃんの家を何件も回って、かばんを集めていたんです。それが楽しかったんですよ。かばんが好きかどうかじゃなくて、行けばお菓子がもらえる(笑)。
本当は仕事をしている親父の背中が好きだったんだと思います。

各会社のこれが一番というものの集まりが「豊岡鞄」

──(笑)子供にとっては大きな魅力です。でも20歳になっても気持ちは変わらなかったわけですから……。
宮下: 他にこれ以上したいと思える仕事もなかったですし。20歳になって豊岡に帰って来てすぐ、会長の知り合いが東京で問屋さんをしていまして、そこに1ヵ月のうち1週間くらい行かせてもらって、その場で型をとって帰ってくるというようなことをしていました。毎月毎月。会長に恥をかかせるわけにはいかないので、必死でした。現物を持ち帰ることが許されなかったので、写真を撮り、全部型出しして帰って来て、すぐに生産にかかるんです。

──基礎知識がなくてできることなのでしょうか?
宮下:いや、できないと思います。最初はひたすらかばんをほどいて、ほどいて。職人さんが教えてはくれるんですけど、先生ではないですから。うちの親父ももともとは営業マンだったので、自分で一から型だしを勉強したということでした。

──さきほどアルチザンで御社の自社ブランドによるかばんを見せていただきました。帆布との出会いは、どういったきっかけだったのですか?
宮下:会長がOEMで作っていたのが、帆布製品だったんです。それがかっこよくて僕も帆布で鞄をつくりたいなって思って、だったら自分で帆布を使ってオリジナルな製品を作ろうと思ったのがきっかけですね。


鞄作りに向いているのは、完璧を求めない人かな?

──そこから自分が使いたい帆布を探して、ということですね。
宮下:まずは生地屋さんにあたって、変わった帆布がないかを聞いてみたんですが…ないんですよね(笑)。なので、スタートは洗いかけに出して、少しでも他と差別化ができるような帆布を作りました。

──遡って、自社ブランド第1号のかばんができたのは、いつですか?
宮下:5年前くらい前だと思います。2013年頃。その頃に、“豊岡鞄”の認定企業に入れていただいてですね、僕は今ブランド委員長になって今年で4年目になるのかな。

──ブランド委員長の任に就かれた時は、少し荷が重く感じられましたか?
宮下:いや~、荷が重いっていうか、何もわかっていなかったので(笑)、手探りもないです。探るものがわからないから(笑)。前委員長の足立さん(株式会社足立代表取締役足立哲宏氏)に、何かあるたびに電話で確認していました。 今は、副理事長の由利社長に教えて頂き、皆さんのお蔭でやれてます。

──“豊岡鞄”というブランドの認知度を上げるために、今一生懸命、豊岡市と一緒になって色々な仕掛けをされていますが、社長の“豊岡鞄”に対する思いを聞かせてください。
宮下:難しいですね。守っていかなくてはいけないものだと思います。と同時に、僕たちが、自分たちで販路を見つけるための勉強だと思っています。各社、“豊岡鞄”をつけずに自社ブランドで販売できるようになるのが、一番ですから、将来的にそうなるよう、みんなで勉強し準備を進める場でもあるのかな、と。展示会にしても、“豊岡鞄”で展示しているじゃないですか。あれも、自社でできるのならわざわざ“豊岡鞄”でする必要はない。一ブランドとしては、だんだん知名度が上がってきているんで、良いものだと思うんですけど。ブランドをどう盛り上げて、そのブランドと共に何をどう一緒に勉強していくか、成長していくか、というところを考えていきたいですね。


ミシンの前に座っているともっと踏みたいなって思うんだけどいろんなことが滞るから中々踏めてないです。

──社長が考える、“豊岡鞄”とはこうあるべきもの、をお聞かせください。
宮下:僕の中では、各企業の技術・鞄への考えの集大成が豊岡鞄だと。高い品質基準に沿った素晴らしいものが、“豊岡鞄”だと思うんです。ただ、豊岡鞄としてやっていくうちに、どんどんいろいろなものが出てくるわけなので、品質ありきだけではなく、もっとデザイン性の面などもプラスして、より素晴らしいブランドにしていきたいと思っています。

──豊岡のかばん作りに携わる若い方も増えているようですね。
宮下:うちも今年はひとり、アルチザンの卒業生が来てくれることになりました。アルチザンは色々な種類の鞄を学びその1本のかばんをどれだけ素晴らしく作るかということを学ぶ場です。が、こういう企業に入ってくれば、1本に時間をかけて良いわけじゃなく、それを100本縫うためにはどうしたらいいかを勉強しなくてはなりません。勉強しながら、どんどん良いものを作ってもらえたらなと思います。新しい鞄づくりにもどんどん挑戦させたいです。

──今、御社で働いている若者を見て、どんなことを思いますか?
宮下:うちに来てくれている子はみんな、すごく頑張っているんです。努力をしますね。今日は1日でこれだけ縫えたから、明日はこれだけ縫えるんじゃないかな、とか。僕は「スピード、スピード!!」って言いながら、「ちゃんと考えながら縫ってくれ」とも言うんですけど、若い者同士で話しながら、こうしたほうが良かったよとかアイディアを出したりして。そういう向上心がうれしいです。


うちを選んで来てくれる方はみんな、頑張り屋さんです。と社長。

──どんな人が鞄作りに向いていると思いますか?
宮下:完璧主義じゃ無い人ですかね。いい加減な人っていうわけではなくしっかりと自分の仕事に責任を持てる人だと思います。量産になるとライン生産になり自分の縫った工程を次の人が縫製していき最後鞄になります。次の人が楽に縫製できるように考え実行出来る人。次の工程を覚えたいっていう向上心も必要かも。

──社長にとって、かばん作りとは?
宮下:楽しみです。晩ご飯を食べてからでも仕事場に行きたいからって、仕事場の隣に家を建てたんですよ。だから、仕事場にいることが日常です。かばん作りが日常です。趣味も兼ねている。
時間があったら、休みでもずっと仕事をしていますし、気が付いたら仕事場にいます。どこの社長もそうなんでしょうけどね。好きかどうかもわからないくらいに、当たり前です(笑)。


被せにイタリアンレザーをふんだんに使用し今、自分が持ちたい鞄を。

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