企業に訊く④2019.03.12

衣川産業株式会社(http://www.rabbik.com/
代表取締役 衣川英生

我々は豊岡にいることのアイデンティティを考え
持ち続けていかなければなりません

衣川産業が、小間物ごうりを販売する店として形を整えたのは1767年のこと。その後柳行李を全国各地に販売するようになり、戦時中には軍事品の運搬用具、携行食用具に各種柳行李を製造し供給を行なっていたという。海外へのバスケットの輸出などを経て、現在は大手ブランドのライセンス生産から自社ブランド製品まで、海外を生産拠点にして幅広く取り扱っている。
豊岡鞄協会の会長も務める衣川英生社長のお話は、厳しい現実を冷静かつシビアに捉えている分、聞こえのいい言葉が並ぶものではない。が、だからと言って決してネガティヴなものでもない。ネガティヴな未来にならぬよう今できることは何なのか? 会社経営者として、鞄協会会長としての見解をうかがった。

──御社はとても歴史が長くていらっしゃいますね。
衣川:250年になります。

──豊岡のかばん産業の歴史の一部であるという自負は当然あるのではないかと思うのですが、社長は今の豊岡のかばん産業の現状をどう捉え、どんな課題を見出していらっしゃいますか?
衣川:現状の問題点というのは、人口減少が顕著に表れている点でしょうか。日本全体が、生産に向いていない国になりつつあります。かつての豊岡には、かばん産業があって、その下に農業があった。時間に余裕のある労働力があったわけです。農業の方たちの内職によって成り立っている部分があったので、豊岡には競争力もありました。でも今は、そういう流動的な人口がいないので、工場生産が中心になっていて、競争力もなくなってきている。日本には東京、名古屋、大阪、豊岡と、4つのかばんの産地がある。豊岡以外の3つの産地は大都会で、すでに生産できないという状況で、豊岡に生産が集中してきています。けれども、生産のキャパシティがないので作れないという状況が今なんですね。これは、解消しない。日本全体の人口が減るわけだから、ここだけに人が集まるということは考えられない。
 すでに中国も人件費が上がっていて、生産が他に移行しつつあるということで、インドネシアなりタイなりも、今がピーク。最終的には恐らくアフリカへ行くのではないか、と。中国は正味20年しかもたなかった。ベトナムがここ10年くらいですでに人件費が高くなっている。世界の人件費の上昇率というのはすごく高くて、どんどん、どんどん、日本から産地が離れていく。けれども、そうした中でも、我々はここ豊岡にいるアイデンティティを考え、持ち続けていかなければなりません。
 私は問屋で、“もの”を作っていないですから、この“もの”を流通させることを豊岡でやっていることのメリットは何かといえば、ここには“もの作り”というベースがあることでしょう。それがあるから、例えば営業担当が営業に出たときも、東京、名古屋、大阪の営業であれば、作ったものを流通させる力はあるけど、ものを作り出す力はない。けれど、豊岡の営業ならば、作るベースが近くにある。それが唯一の強みかなと思います。


「豊岡の営業ならば、作るベースが近くにある。それが唯一の強みかなと思います」

──これまで何社かの社長にお話を伺いました。その多くは、自社で“豊岡鞄”を生産していらっしゃいます。そういう方にお話を聞くと、作る人間の確保、人材の確保というものが非常に重要であって、そのためにアルチザンやトレセンがあるわけです。でも、御社は会社の形態が異なるので、必要となる人材の条件も変わってくるかと思うのですが、今、衣川産業に必要とされる人材の条件は、どんなことになりますか?
衣川:我々は営業ですから、営業の拠点はやっぱり東京がメインになってきます。あと大阪ですね。となると、営業員の人材ということで言えば、東京で確保する必要がある。豊岡本社というのは物流拠点であり、会社トータルの総務が最終的には残っていくのかなと思っています。営業の拠点であったり、商品企画であったりといった部署は、外でやらないといけないなと(笑)。でもそうなんですよ、実際は。従来は豊岡から、みんな出張していたんです。半月くらいずっと出っ放しで、全国回ってやっていたわけですけれども、それでは今の世の中のスピード感に全然合わないんです。

──豊岡の本社ではIターンやUターンの人材も採用されているかと思います。そういった方たちに、豊岡のかばん産業で働くメリットを提示するとしたら、どんなことになるでしょうか?
衣川:親元で働けることでしょうね。今の人材はほとんどUターンですよ。例えば、親の面倒を見るだとか、何らかの理由で一緒に住むという選択をし、みんな帰って来ているわけですね。そういう意味では、それぞれが自分の役割を感じて帰って来ているんだと思います。今、どこの田舎も同じことをやっているわけですよね。みんなで引っ張り合いするわけですよ(笑)。そうするとあんまり意味がないのかなという気がするんだけどね。

──衣川産業として、今後の展開を教えていただけますか? OEMもあれば、BERMAS(バーマス)のような自社ブランドもあり、それぞれに方針があるかと思います。
衣川:うちの場合は6〜7割が自社ブランドで、残りは外から借りているライセンスになっています。ライセンスは必要悪だと思うので、やってみて、やっぱりやる必要があるかな?という感じですね。自社ブランドの範囲をもっともっと広げていこうとは思っています。自社ブランドは、みんながやっているけれども、結局自分のブランディング方法をしっかりしないといけない。要するに、ブランドとして認知されるかどうかっていうことが、一番大事であって。それこそが、我々がやるべきことですね。やらないといけないことです。

──例えば、衣川産業のブランドが大きくなって、知名度を上げていくことによって、豊岡のかばん産業全体を引き上げて行こうみたいな意欲も、持っていらっしゃいますか?
衣川:会社として豊岡全体のブランディングをやろうとは、思っていません。僕は、豊岡鞄協会(一般社団法人豊岡鞄協会)の会長をやっているので、そこではそういう取り組みもしていますが、みんなそれぞれ会社は商売ですから。自分のブランドを広げることによって、結果として豊岡の知名度を上げるということはあるかもしれないですけれど。

──それでは、豊岡鞄協会の会長として、今の豊岡のかばん産業に一番必要とされていることはどんなことだと思われますか? 千年以上続く歴史、柳行李の時代から始まって、この先1800年、2000年と先を見ていくとして、なかなか厳しいとおっしゃっていましたけれど。
衣川:それぞれのブランドがすることでしょうね。 “豊岡鞄”というひとつのブランドで、みんな頑張ってやっているけれども、これは作り手が見えないブランドなので。今それに取り組んでいるのは勉強だと思うので、勉強しながら、個々のメーカーさんが、しっかりとしたブランディングをしていくことが大切だと思います。名前のブランドじゃなくて、職人さんがブランドになっていく、あるいは工場がブランドになっていくんだという考え方で伸ばしていかないと残っていけないと、僕は思いますね。組合ができることは、あくまでも伸びる段階での補助であって、やっぱり個々が伸びて行かないと勝てないと思うんです。


「僕の夢は、はやく引退したい(笑)。こんなしんどいことやってられん(笑)」

──ずばり、社長の夢は何ですか?
衣川:僕の夢は、はやく引退したい(笑)。こんなしんどいことやってられん(笑)。本当だよ、夢はね。

──(笑)。では、引退する前に実現させたい2番目の夢は何ですか?
衣川:会社としての夢はね、ここから世界に向けて商売ができるベースを作ること。日本人ってダメなんですよ。コンプレックスがあるし、言葉もできないし、外に対して出て行こうという意欲がますますなくなっていますよね。僕らの世代よりも、今の人のほうがもっとない。だから今、それを突き破らないと。「世界が〜」と言っている限りはダメですよね。要するに、世界が当たり前だという土壌になっていかないと。例えば中国の人でも台湾の人でも、自分の国では商売できないと思っている。外に出ないと商売できない。だから、外が当たり前の土壌をベースにみんな仕事をしている。英語だとか日本語だとか中国語だとか、そんなの関係ない。スキルがないと商売ができないというところでやっているのと、日本語でずっと育ってきて、勉強しないと喋れない、外に出たこともない、何もできないというベースで、日本で商売しているのとでは大きな差がある。そうしている限り、ここからは出て行けない。だから負けちゃう。もう負けているからね、今。


本社ショールームにて。

──会社の若手の方々にそういうお話をする機会はありますか?
衣川:我々は外で、中国などで“ものづくり”しているので、そっちにはみんなが行くようにしています。機会があるごとに連れて行きながら、徐々にだけど、その世界観は育てようと思っているけれどね。中国語をやりたいとか、英語をやりたいという人がいれば、それは積極的に応援していく。行きだすとね、みんなやっぱり必要だから中国語も勉強するし、英語も少しだけど喋れるようになる。意欲さえあればできるんだけど、そこに辿り着くまでが、ゆとり世代の人って非常に難しい。本当に(笑)。
僕は約30年、海外と取引しているけれど、その頃の日本の存在感と今の日本の存在感は、外に出たら全然違うんです。日本なんて、海外で必要とされてないのだから。

──必要とされていないことを知らないと、何も始まらないということですね。
衣川:僕は、以前を知っているから、今外に行って、必要とされてないのがわかるけれど、今初めて外に行った人は「日本って全然ダメなんだ」とは思わないと思う。それが当たり前になっちゃっているから。ただ、外に出て行ったら日本人は優秀なので、やることもあるし、できることもいっぱいあるんだけどね。


ライセンス契約から、豊岡鞄まで様々なかばんが並ぶ本社ショールーム。

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