企業に訊く⑤2019.03.15
株式会社 三宅初治商店(https://www.toyooka-kaban.jp/company/miyake/)
社長 三宅 秀明
かばんを好きな方は、やっぱり姿勢が違う。
仕事への取り組み方が全然違いますね。
円山川の土手の脇に工場を構える三宅初治商店。取材におじゃますると、“豊岡鞄”審査会に出席している社長はまだ戻られていなかった。ならば、と先に工場を見学させていただくと、そこには主力商品ダレスバッグの様々なパーツが。これは一体どこの部分に使われるのだろう?と思わず覗き込んでしまう。そうこうしているうちに、息を切らせて社長が戻られた。約束の時間に遅れてしまったことを、こちらが恐縮するくらい何度もお詫びしてくださった。
取材をしたのは社長室だが、ここにもダレスバッグをはじめ、香港展示会用の試作品やパーツなどがあり、社長はそれらを手に取りながら、豊岡鞄への参加で実感できたかばん作りの楽しさや苦労、自社ブランドへの思いなどを丁寧にお話してくださった。
──三宅初治商店は、お父様が始められたんですね?
三宅:はい、私で二代目になります。
──創業はいつですか?
三宅:今から52年ほど前です。私が10歳くらいのときに独立しました。
──1970年代の頭ぐらいですよね。当時からダレス一本だったのですか?
三宅:いえ、そのときはトレンを作っていました。箱物という意味なんですけれど、ベニヤ板でできた化粧品入れで、開けると鏡がありまして。それをメインで製造していました。作れば作るだけ売れたそうです。この辺り、どこでもそれをやっておられました。
「お客様に喜んでもらえること、それがやっぱり嬉しいです」
──お父様がかばんを作り始めた頃のことは覚えていらっしゃいますか?
三宅:はい。トレンが衰退してきて、私のところはこういうビジネス系のカチッとしたかばんを作るようになりました。 なぜ親父がビジネスバッグを選んだのかはわかりませんが、とにかく親父は根っからの職人でした。商売人というよりは、職人。ビジネスバッグというのは、トレンがそうだったように、糊貼りがメインなんですよ。だから、トレンの糊貼りの技術を応用する形でこういう形になったのではないかと思います。
──社長はいつ頃から家業に関わり始めたんですか?
三宅:私は高校を卒業してから、ずっとこの会社におります。
──最初は職人さんの修行からですか?
三宅:そうですね、職人ですね。今も職人です。バタバタでね。社長室に入ってドーンと構えているような感じでは、私はないですね、みなさんそうでしょうけれど、かばん屋さんというのは。
──小さい頃から職人になるというのは、決めていたのですか? 決めずとも、意識はされていましたか?
三宅:長男だったので、親父が私に後を継いでほしいと思っているのが見えましたんでね。他に何かしたいこともなかったものですから、腹をくくって。
──かばん作りの楽しさは、どんなところにあると思われますか?
三宅:最近、豊岡鞄を作り始めたんですけど、それまでは注文をいただいて手作業でずっと同じことをやっていましたから、楽しさというものはあまり感じられませんでした。でも、木和田正昭商店さんに豊岡鞄をご紹介いただき、「作ってみたら?」ということで作ってみたんです。もともと私たちの会社は、問屋にかばんを入れるんですね。でも豊岡鞄ができると、アルチザンにおいてもらったり、各地のデパートでフェアをしたり、それまで接する機会がなかった消費者の方と接したり、その声が聞こえてきたりします。アルチザンから「お客様が喜んで買われて行きましたよ」とか言っていただけると、嬉しくなりますよね。「今度2つ目を買うんです」と、リピーターになってくださる方もいる。お客様に喜んでもらえてね、それがやっぱり嬉しいです。
工場に積み上げられたダレスバッグのパーツ。
──豊岡鞄に関しては、どんなところに、特に気を付けていますか?
三宅:豊岡鞄はやはり品質が大事です。今日も審査会をしていますけど、けっこう厳しいんですね。そこに注意をしてやっています。豊岡鞄に参加されている他のメーカーさんのお話を聞くことは勉強になります。みんな仲がいいから、「ここどうしたらいい?」って聞いたら、教えてくれるんですよ。みなさん助け合っているのがいいですね。一方で、審査は難しい。私も2回ほど落ちたことあるんですよ。デザインの先生にも「作れば作るほどおかしくなるよ」って言われたり。でも、そういうハッキリしたところが好きですね。先生にも相談しながら、いいかばんを作ってみたいですね。 豊岡鞄に参加をしなかったら、そういう楽しみもあまりなかったと思います。
──社長は、時間が許せばずっと職人としてかばんを作っていたいと思われたりしますか?
三宅:もう少しかばんを作る時間が欲しいなという気持ちはあります。死ぬまでかばん屋さん、定年がないんでね。
──定年がある人からしたら、ちょっとうらやましいかもしれないですね。
三宅:そう言われますね。貧乏性なので、休みでも、時間があったら少しでも工場に来て、ごそごそしています(笑)。 翌日の段取りとか、裁断とか。私が、この(現物を見せながら)芯材を断つので。生地は裁断屋さんに出して、裁断してもらっています。
──後継者、職人さんを育てていくことも、今後必要になってくると思います。
三宅:ええ、今もK-siteで縫製トレーニングセンターもやっていますけどね。
工場では13名の従業員が働いている。
──御社には、どのような人材が来てくれたら嬉しいですか?
三宅:若手でしたら、かばんを好きな方でしょうか。好きな方は、やっぱり姿勢が違いますね、他の企業さんを見せてもらっても。そういう方は取り組み方が全然違いますね。
──社長が考える、究極の、理想のダレスバッグとは?
三宅:ダレスバッグは、軽さですね、現状のアルミ枠を、何か別の軽い素材でできないかとかね、いろいろ考えているんですけど。デザインは、由利さん(株式会社由利)のリュック・タイプのダレス。あれはすごいかばんだな~と思って見せてもらったんです。すごくかっこいいですよね。デザインは、ああいうのが究極ですね。でも、うちの技術であれはできないです。膨らみとか。
──先ほど工場を見せていただきました。
三宅:うちはメインに糊を使うので、ちょっと臭いがしたと思います。両面テープもたくさん使います。でもミシンの台数は少ないんですよ。だから、縫子(ぬいこ)さんも少ない。同じかばんでも、作るものによって全然違います。
──糊貼りは難しいんですか?
三宅:難しいですね。みなさんやめてしまいます。でも逆に、こういうかばんを作るところが少ないから、まだいけている感じです。
──パーツも多いですが、それは行程も多いということですよね。
三宅:多いですね。材料をポンと投げて、ミシンを踏んで、というかばんではないので、ほとんど自社工場の中でやります。
エプロン姿で工場に立つ姿もサマになる三宅社長。
──社長の目標もしくは夢を、教えてください。
三宅:最高に良いかばんを1本、生涯をかけてもね、作りたいです。高校を卒業してからずっとやってきましたから。商売じゃなしに、趣味として作ってみたいなというのはあります。
──趣味として作るとしても、やっぱりダレスですか?
三宅:はい、ダレスです。